2011年8月3日水曜日

石川迪夫「危険を唱える人が引退したから、事故が起きた」という本音を、重く受け止めるべき理由

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65738985.html

石川迪夫氏はがちがちの原発推進者です。原発を開発して安全性を確立したと自負しており、自ら茨城県鹿島に家族ともども住んでいる方です。朝生にも推進派筆頭でちょくちょく出演され、「まず安全ありきで危険があるなんて毛頭考えてないじゃないか」と憤慨しながら見た記憶があります。しかしこれを読むと、なるほど、原発事業で徐々にアクセルが踏まれていってブレーキが外れてきたんだなあとわかりました。現場で原子力を開発してきた人にとって原発がなくなるということは過去の自分の打ち込んできたことがすべてなくなるということなんですね。原子力が危険かそうでないかを考えているのではなく、原子力が好きだから開発する、ということなんですね。そしてそうして安全性を見かけ上確保した原子力を受け継いだ今の世代が管理しているから、はなから危険なんてことは考えてないと。営利目的のみで運営されるようになり、開発時にあった「危険」に対する「安全確保」へのシステムがすたれていったんですね。 ただ、いくら氏が強弁しようとも、人間がすること、過ちがないはずがありません。1億分の1でも危険があり、これほどの影響が出るのであればもう原子力発電は行うべきではないでしょう。政治家も安易に学者を利用し、安易にエネルギーを得ようとする考えは見直してほしい。

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